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2018年5月10日

音楽ジャーナリスト飯尾洋一氏による聴きどころ

2年ぶりの開催となる「チェンバロ・フェスティバルin東京」。今回はルネサンスからバロック時代の珠玉の名曲に加えて、近現代の作曲家たちによる新たなチェンバロの響きもお楽しみいただけるプログラム!ここでは音楽ジャーナリスト飯尾洋一さんによる、本フェスティバルを聴きどころをご紹介します。

 

ピアノ・ソナタをチェンバロで

 チェンバロという楽器にはロマンがある。バロック音楽の時代には不可欠の楽器として重要な役割をになっていたのにもかかわらず、以後、フォルテピアノの台頭とともに歴史の表舞台から消えてしまう。ところが、いったんは博物館の楽器となったものが、20世紀に古楽復興の潮流とともに復活を遂げた。ほかの楽器、ヴァイオリンやチェロ、フルートやオーボエを見渡してみても、時代とともに変化を遂げてはいても、チェンバロのようなダイナミズムにさらされた楽器は見当たらない。
 しかも、チェンバロの場合は、楽器の復活が古楽を演奏することにつながっただけではなく、時には作曲家の創作意欲を刺激して新作を生み出すという発展性のある形で復活しているところがおもしろい。20世紀のチェンバロ作品などを聴くと、途絶えた歴史をもういちどやり直しているかのような、一種の疑似的なタイムスリップ感覚を覚える。

 「チェンバロ・フェスティバルin東京」第5回に掲げられたテーマは「バッハへの道、バッハからの道」。三日間にわたって数多くの公演やイベントが開催される。バッハに至るまでのレパートリーだけではなく、バッハ以降の作品がかなり大きな比重を占めているところが特徴だ。
たとえば初日の曽根麻矢子チェンバロ・リサイタル。「バッハからの道」はバッハの息子たちの作品に留まることなく、なんと、モーツァルトやベートーヴェンまで続いてしまう。モーツァルトのピアノ・ソナタ第11番イ長調「トルコ行進曲付き」*、さらにはベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番ハ短調「悲愴」といった古典派作品までチェンバロで弾くというのである。その名の通り強弱の表現力にすぐれた楽器であるピアノ(フォルテピアノ)のための作品を、あえてチェンバロで演奏することにどこか倒錯的な期待感を覚えてしまう。もっともよく考えてみれば、この時代にまだ存在しないモダンピアノを使って弾くことに比べれば、チェンバロでの演奏のほうがむしろ現実に即しているともいえるのかもしれない。そして、武満徹が書いた貴重なチェンバロのための作品である「夢みる雨」へと、時代は一気に跳躍する。

 

20世紀に続くバッハからの道

 二日目の「バッハへの道、バッハからの道 第一夜」でも、彩り豊かな「バッハからの道」が描かれる。チェンバロのための作品を書いた20世紀の作曲家といえば、まずリゲティの名が思い浮かぶが、「ハンガリー風ロック」「コンティヌウム」「ハンガリー風パッサカリア」が異なる奏者によって演奏される。しかも各曲に先立って、それぞれリゲティの着想のもととなったであろうストラーチェの「チャッコーナ」やクープランの「ティク・トク・ショク」、パッヘルベルの「カノン」が演奏されるという凝った趣向になっている。また、この日はバッハの「ゴルトベルク変奏曲」のアリアに続いて、古川聖作曲のゴルトベルク変奏曲に基づく新作が世界初演される。バッハからの道が現代にまで地続きになる。
 三日目の「バッハへの道、バッハからの道 第二夜」でも、フレスコバルディからクセナキスまで実に幅広い作品が並ぶのだが、ファリャの快作、チェンバロ協奏曲がとりあげられるのがうれしい。過去のスペイン音楽への関心から生まれたバロック的な発想によるコンチェルトだが、結果的に新古典主義的な乾いたリリシズムが満ちあふれているところがなんともチャーミングな傑作である。
 各チェンバロ奏者たちによる趣向を凝らしたレクチャー・コンサートにも好奇心がくすぐられる。フェスティバルを通じて、チェンバロの魅力を再発見することになりそうだ。

飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

*モーツァルト ピアノ・ソナタ第11番イ長調「トルコ行進曲付き」 2014年に新発見された自筆譜に基づく原典版(改訂:渡邊順生)を使用

 

チェンバロ・フェスティバルin東京 第5回「バッハへの道、バッハからの道」6/29(金)~7/1(日) 詳細はこちら