浜離宮朝日ホール|朝日ホール通信

1992年オープンの室内楽専用ホール。特にピアノや繊細なアンサンブルの音色を際立たせる設計でその響きは世界でも最高の評価を受けています。


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ヴィクトリア・©BenjaminEalovegaムローヴァヴァイオリン・リサイタル「境界線を越える」ことの意味が重く響く2022年である。長く続くコロナ禍は、私たちに国境はおろか都道府県の境界を越えることすら難しくしたし、他者との距離は依然、最大限の注意で確保せねばならない。その状況が続く中、いつしか国家、民族、人種、性別など、融和されるべき世界はむしろ分断が進んでしまった。そしてさらに、国境を暴力的に踏み越えるという前時代的な蛮行が、世界を震撼させる。そんな時に、ヴィクトリア・ムローヴァの来日公演が実現するのは、前段落で書いたことといわば対照的に意味深い。ムローヴァこそは前世紀から果敢に「境界線を越える」ことを実践してきた音楽家だからだ。1983年、ムローヴァは自由を求め危険を顧みず祖国を離れ、当時の「西側」へと国境を越えた。そしてその自由を最大限に生かすべく、彼女は自らの「表現の境界線」を越えた。当時急速な勢いで伸長しつつ賛否両論のただ中にあった、ピリオド楽器を用いてのHIP(HistoricallyInformedPerformance)の実践である。「モダン楽器」アラスデア・ビートソン©KaupoKikkas分断した世界に響く、越境者の音楽のヴァイオリニストとして高い名声を誇っていたムローヴァは、1990年代先陣を切ってHIPを実践し、「モダン」と「ピリオド」の境界線を行き来できる最初のヴァイオリニストの一人となった。さらに彼女はクラシックとポピュラーの垣根も積極的に超え、ボサ・ノヴァにまで挑戦した。今回の演奏会は、前半がピリオド仕様のガダニーニを用いたベートーヴェン、後半はモダン楽器の「ジュールズ・フォーク」ストラディヴァリウスを用いた武満徹、ペルト、シューベルトと、ムローヴァのこれまでの歩みと現在を凝縮したプログラムである。ベートーヴェンはイ短調とハ短調のソナタという硬派な選曲で、フォルテピアノと対等に渡り合うピリオド楽器の潜在力、ガット弦の魅力が十分に発揮されるだろう。そして後半はモダン楽器を鳴らしに鳴らすというより、その表現力をあえて静謐な緊張感に満ちた現代の2曲に注ぎ込む。最後にシューベルトのロンドが、いわば2つの世界を止揚するように、天上的に響くはずだ。それは、世界がふたたび分断の危機に瀕していることを「越境者」として深く憂いているはずのムローヴァの、祈りを託した音楽となるのではないだろうか。矢澤孝樹(音楽評論)11/20(日)15:00¥12,0006/11(土)発売共演:アラスデア・ビートソン(フォルテピアノ/ピアノ)【ガダニーニ(ガット弦)/フォルテピアノ】ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第4番、第7番【1723年製ストラディヴァリウス(モダンの弦)/モダン・ピアノ】武満徹:妖精の距離ヴァイオリンとピアノのためのペルト:フラトレスシューベルト:ヴァイオリンとピアノのためのロンド3


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