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一抹の哀しみや切なさが漂うような曲が多いですよね。繊細な季節の移ろいが情感豊かに歌われるのも日本歌曲ならではの魅力です。さらに今回は、寺嶋さんが作曲してくださった《蝶》を実演ではじめてお届けできるのも楽しみです」時代もジャンルも関係なく私にとってはすべて“うた”先述の「自分が歌うなんて思いもしなかった曲」とは具体的にどのような曲なのだろう?「たとえば、中田喜直の《サルビア》や、團伊玖磨の《紫陽花》といった曲の激情ほとばしるキャラクターは、これまでの自分にはないものでした。激しめ女子というのでしょうか(笑)。そういう曲を、穏やかな私と寺嶋さんでやるとどうなりますかね、と。でも心の奥底には、表にこそ出さないけれど、人それぞれ、いろいろな感情がありますよね。そんな自分の中にある感情を膨らませる作業というのも、大切な時間だなと思ったりして」時代を代表する詩人たちによる、感性が研ぎ澄まされるような詩も、日本歌曲を味わう醍醐味である。「曲に取り組むときは、まず縦書きの詩を読んでから、次に楽譜を見て、詩の世界がどのように音になっているのかを見ます。“この言葉に、この和音をもってくるのか!”とか、“ここで心をぐっと掴まれるのはなぜだろう?”とか、さまざまな驚きや裏切り、喜びや発見がありますね。それに、昔は理解できていなかった詩も、今歌うとすんなり入ってきたりも。たとえば中田喜直作曲、三好達治の詩による《たんぽぽ》は受験生のときに練習していましたが、ただ明るくて、楽しげな曲だなと思っていました。それが今ふたたび歌ってみると、“あわれいまいくたびめぐりあふ命なるらん”という詩に涙が出てきて、モーツァルトやシューベルトを歌うときのような気持ちになります。そんなこと、かつての自分だったら思ってもみなかっただろうなと」聴き手にとっても、幸田の声で日本歌曲を聴くと、難解に感じられる詩もすっと受け止められる。彼女は以前、J-POPを歌ったアルバムをリリースしているが、そこに込められた情感となんら変わりないと言ってもいいかもしれない。「私にとっては、音楽のジャンルも作曲された時代もあまり区別がなくて、どんな作品も“うた”として捉えています。人がいて、言葉があって、伝えたい言葉をメロディに乗せる。共に奏でる楽器と響き合い、呼応しつつ聴き手のもとに届けるのが“うた”。今回のリサイタルでは日本歌曲だけでなく、ジョン・スティーブンソンの《夏の名残のバラ》のように日本で親しまれている海外の曲も歌おうと思っていますが、ウィーンのオペレッタを歌うときも、イタリアのカンツォーネを歌うときも、J-POPを歌うときも、アプローチを変えるということは意識していないんですよ」最後に、素敵なエピソードを話してくれた。「2013年のリサイタルを聴いた友人が、“悲しい歌じゃないのに、なんだか涙が溢れてきたの”という感想をくれました。彼女はキャリアウーマンで、忙しい仕事の合間を縫って浜離宮朝日ホールに来て、音楽を聴いたらふっと解放されて、スイッチをオフにできたそうです。そうしたら、涙が出てきたと。これほど嬉しい感想はありませんよね。ぜひ皆さんも、そんな時間を過ごしていただけたら幸いです」取材・文/原典子(音楽ライター・編集者)浜離宮アフタヌーンコンサート幸田浩子ソプラノ・リサイタル~美しき故郷のうた~4/18(木)13:30¥5,000共演:寺嶋陸也(ピアノ)さくら横ちょう(作曲:中田喜直/作詞:加藤周一)びいでびいで(作曲:平井康三郎/作詞:北原白秋)たんぽぽ(作曲:中田喜直/作詞:三好達治)唄蝶(作曲:寺嶋陸也/作詞:紫野京子)※新作・初演紫陽花(作曲:團伊玖磨/作詞:北山冬一郎)花のまち(作曲:團伊玖磨/作詞:江間章子)夏の名残のバラ(作曲:ジョン・スティーブンソン/作詞:トーマス・ムーア)ほか(作曲:山田耕筰/作詞:三木露風)7寺嶋陸也